小樽と硝子
#聖樹のパンと小樽 10
小樽と硝子
小樽に最初に硝子工場が出来たのが明治24年。
当初は薬ビン、菓子などのパッケージ、金魚鉢など家庭雑器が主でした。
やがて漁業が盛んになり、
漁業用のガラスの浮球作りの需要が伸びるのですが、
昭和になってニシンの不漁、
漁業の衰退に伴い硝子産業も衰退。
元々小樽に数ある産業の一つでしかなかった硝子が、
小樽のシンボルになったのは北一硝子があってこそ。
1970年初頭経営を引き継いだ現社長の浅原健蔵さんは当初石油ランプを作って販売していました。
その頃、小樽運河の保存運動があって徐々に小樽の知名度が上がり、
北海道の観光ブームもあいまって、
”カニ族”という自転車で日本を回る若者たちが小樽に来るようになりました。
彼らが小樽土産に買っていったのが石油のランプ。
それを見た健蔵さんは「カニ族のためにランプをもっとコンパクトにして、カラフルにしたら喜ばれるんじゃないか」と考えました。
これが、当たるんです。
それから北一硝子の快進撃が始まりました。
コップ、お皿、アクセサリー北一硝子の商品は観光客の人気アイテムに。
当時、倉本聰先生の「ガラスの知恵の輪」というドラマが大竹しのぶとショーケンが主演で放映されいましたね。
小樽ブーム到来です。
今では小樽といえば硝子。
硝子は小樽のシンボル。
やがて「聖樹のパン」の登場により小樽のシンボルは運河と硝子とパンになりました。ってならないかな。(笑)
乞うご期待。
情報提供: 小樽博物館